第11章◎「生きるムダ」と「生きないムダ」を見極めよ

最近、政治家たちの「不急、不要のものにカネをかけるべきではない」との声が、ますます大きくなってきました。きっかけは、例の「事業仕分け」でしょう。さまざまな公共事業・公益事業を「仕分け人」たちがバッサバッサと斬っていく様子に、多くの国民は喝采を送り、蓮舫議員の「2位じゃダメなんですか?」のセリフは流行語にもなりました。
「ムダを省く」……立派な言葉に聞こえます。しかし、私はとっても心配です。昨今の傾向は、物事の本質を捉えず、何もかも一緒くたにしているとしか思えないからです。

ここで1つ質問です。公園に噴水は必要でしょうか?
「必要か不必要化か」と聞かれれば、多くの人は「噴水なんか無くてもいいか」と考えるのではないでしょうか。無くて困るわけではないし、電気代や維持費もかかりますからね。実際「ムダだ」という声はあるのでしょう。平日の、あまり人出が多くない時間帯に、噴水をストップさせている公園は全国至る所にあります。
では、噴水は役に立っていないのでしょうか? そんなことはありません!

「いい意味での波及効果」が“鍵”

一見、何の存在意義もないように見える物の中にも、実際には目に見えないカタチで役立っているものは数多くあります。目に見えるカタチで役立っているかどうかで判断すれば、公園の噴水は「ムダ」と“仕分け”されてしまうかもしれません。しかし、噴水は公園にいる人の心を和ませ、涼味をもたらしています。園内の景観だって、噴水がなかったら味気ないものになってしまうでしょう。
効果が目に見えて表れないもの、実利的な効果をもたらさないものを全て「ムダ」と言い切ってしまうのは間違っています。強いて言うなら、一般に「ムダ」と言われているものの中には「生きるムダ」と「生きないムダ」があるのです。

実利的な効果だけを判断基準にしたら、「街にオブジェは要らない」「公園や街路に花壇は不要」となってしまいます。公園すら不必要と言われかねません。実際、既にその方向で舵が切られているように思えてなりません。人々の心を和ませ、感情を豊かにするものは「生きないムダ」ではないはずです。
とは言え、何が「生きるムダ」で何が「生きないムダ」かを判断するのは非常に難しい。あえて定義するなら「経済的にも感情的にも知的にも、いい意味での波及効果がないもの」となるでしょうか。これによれば、莫大な費用をかけて造った“箱モノ”は、利用者が少なくても維持費ばかりかかるので「生きないムダ」と言われても仕方ありません。
ダムの建設事業も、その必要性を具体的かつ明確に示さないと「生きないムダ」の烙印を押されてしまいます。群馬県の「八ツ場ダム」は、民主党政権が建設中止を明言し、事業継続を訴える地元と激しく対立していますが、双方とも、納得できる理由を示さないと、世論の支持を得ることはできないでしょう。

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