第17章◎山村のゴーストタウン化はやむを得ない

アメリカの「ルート66」をレンタカーで完全走破したことがあります。ルート66は、西部開拓史にその名を刻む、由緒ある道路です。かつてテレビドラマにもなりましたし、音楽にもなっているので、ご存知の方は多いでしょう。ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』にも登場します(恥ずかしながら私は読んだことがないのですが……)。
ルート66は高速道路でも自動車専用道路(米国では「インターステート・ハイウェイ」と呼びます)でもありません。日本で言う「県道」のような位置づけでしょうか。かつては主要道路で、沿線にいくつも街が形成されたのですが、近くにインターステートが開通すると、市街地はそちらの沿線に移りました。ですから、現在のルート66沿いには「ゴーストタウン」があちこちにあります。仕方がないことです。ルート66を走っている時、「都市は移動する」「都市は生き物である」と実感したものです。

同様のことは、わが国にも言えます。地方の過疎化が進み、近年は「限界集落」という言葉を耳にするようになりました。マスコミはこうした状況を問題視していますが、残念ながら、この状況は今後も避けられません。住民がゼロになる集落はいずれ必ず現れます。
しかし、だれ一人このことをハッキリ言いません。特に政治家は“人気商売”ですから「村を最後まで守り抜く」とか言った方が「弱者の味方」のように映り、人気が上がって選挙の票につながるのでしょう。ヘタに期待させるより「現実を直視せよ」と言ってあげた方が、よほど住民のためになると思うのですが……。

国も「選択と集中」を考えよ

小泉政権下で郵政民営化が進められた時、反対派は「民営化されたら山奥に郵便が届かなくなる。やがて住む人もいなくなる」とあおりました。私に言わせれば「当たり前」です。
厳しい事を言いますが、郵便事業が完全民営化された後は、山奥の村に住む方々に「やがて配達は週1回になり、月1回になり、最終的には届かなくなる」ということを理解してもらわなければなりません。郵便が届かなくなった後は、インターネットや衛星電話などが、その役割を果たしてくれるでしょう。それがイヤなら、山奥を離れるしかないのです。
山村での暮らしは不便かもしれませんが、豊かな自然に恵まれています。一方、都市の住民は便利な生活を享受しているかわりに、自然とは縁遠い環境で暮らすことを余儀なくされています。双方、メリットもあればデメリットもある……しょうがないことなのです。

企業の経営者は「選択と集中」の重要性を知っています。経営とは「儲けること」だけではありません。いかに効率的で強靱な組織にするかを考えます。それには「選択と集中」、すなわち「社益」につながる部門・事業を厳選して資金を注力し、あまり貢献していない部門や事業を切り捨てる決断が必要になります。いわゆる「リストラ」もこの一環です。政治家や官僚も「国益」を思うなら、この「選択と集中」を考えるべきでしょう。 ハッキリ言いますが、国民のすべてがニコニコ満足するような施策などあり得ません。

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